FC2ブログ

背番号 25

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

清原 和博

img1410.jpg

清原 和博、05年のシーズン終了時点で通算514本塁打を打ち、落合博満(現・中日ドラゴンズ監督)を抜き、単独5位だが、1シーズン記録としては最多本塁打は37本、3割を越えたことも2回しかない。通算三振と死球は現在日本記録である。甲子園を揺るがせた怪物。全国から集まる精鋭揃いのPL野球部の中、1年から4番に座り、同期のエース桑田真澄(読売)とともに1年夏から甲子園に5季連続出場。1年夏いきなり優勝、2年春・夏は共に準優勝、3年春ベスト4、3年夏には2度目の優勝と、桑田との「KKコンビ」として大活躍、2人を擁するPLは当時ほぼ無敵状態の強勢を誇った。清原の超高校級の打棒は凄まじく、1大会通算最多本塁打(5本)、最多連続試合本塁打(3試合)、1試合最多本塁打(3本)など未だに破られていない記録を次々に樹立、甲子園通算本塁打は13本を数え、これももちろん最高記録。未だに記録・記憶両面で高校野球史上最強の打者とも言える存在であり、その活躍を植草貞夫アナウンサー(朝日放送・当時)が「甲子園球場は清原のためにあるのか」との名台詞で実況したことでも知られる。高校通算本塁打は64本。PL学園を経て、王貞治を超えるのでは、とも言われたその実力の行き先は85年ドラフト会議の目玉であり、清原本人は読売ジャイアンツ入りを熱望していたが、投手の世代交代を懸念し読売は桑田真澄を指名。6球団競合の結果西武ライオンズが指名し、清原は西武に入団することになる(当時の背番号は3番)。西武に入団した1年目から、31本塁打(ルーキーのシーズン最多本塁打タイ記録)、打率.304と堂々の成績で新人王を獲得し、勝負強いバッティングが、西武全盛期を支える屋台骨となった。 以後86-88、90-94年の8度のリーグ優勝、6度の日本一(86-88、90-92)に貢献。檜舞台に強く、日本シリーズでは調子を落とす事無く一貫して4番を打ち、86年、88年は優秀選手に、93年、94年は敢闘賞に選ばれている。97年、FA権を行使して子供時代からの憧れだったジャイアンツに移籍。長嶋茂雄(当時)が彼を獲得するときに「僕の胸に飛び込んでおいで」といったのはあまりにも有名。移籍後も1年目97打点、2年目80打点とコンスタントにランナーを返していたが1年目に低打率を理由にファンに応援をボイコットされるなど自分の残せる成績と違うものを求められている事に苦悩する。00年のオフ、暗中模索の中ケビン山崎の指導の元、「肉体改造」トレーニングを積む。肉体改造に成功した01年は完全復活。西武時代も含めて自己最多の121打点を記録するなど、本来の勝負強いバッティングが蘇った。その年以外は規定打席に到達していないが「故障しなければ」というシーズンが多い。通算本塁打数は単独5位ではあるが、獲得タイトルのない「無冠の帝王」。ただし、新人王、最高出塁率2度、最多勝利打点王、ゴールデングラブ賞数回、ベストナイン数回を獲得しており、本当の意味での無冠というわけではない。また、清原はオールスターのMVP最多受賞、打率1位、本塁打2位、打点1位という記録を持っている。歌手の長渕剛を尊敬しており、実の兄のように慕っている。










スポンサーサイト
  1. 2005/10/31(月) 20:59:18|
  2. 2005年 10月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<桑田 真澄 | ホーム | バリー・ボンズ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://backnumber25.blog33.fc2.com/tb.php/24-9cdbdaa4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ジュニア

Author:ジュニア
背番号25へようこそ!!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。