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アンディ・ペティット

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アンディ・ペティット、まさに宣教師か日曜学校の先生になるため生まれてきたようなタイプの人間。自分のことよりも、いつも家族や友人のことを優先し、弱い立場に置かれた人間にやさしく、勝利投手になるとチームメートへの感謝の気持ちをまっ先に口にする。敬虔なクリスチャンでもある。高校のときは、大リーグのスカウトたちが見に来るという大事な試合で、「教会のイベントがあるから試合は休みます」と言い出し、関係者を仰天させた経歴の持ち主でもある。そんなもの静かでジェントルマンなペティットだが、伊良部のヤンキース入りが決まった時だけは我慢ができなかったようだ。当時、ペティットは既にヤンキースで通算39勝20敗を挙げていて、年俸は60万ドル(約7200万円)だった。それなのに、まだ1勝もしていない伊良部が自分の5倍の額を取ると知って憤慨したらしい。ペティットも生身の人間だったと言うことだろう。ペティットは、ルイジアナ州の生まれだが、テキサス州ヒューストンで育った。テキサスの英雄といえばノーラン・ライアンであり、ロジャー・クレメンスであり、豪速球ピッチャーが数多く生まれている。また、テキサス州は全米で一番大学野球が盛んな土地と言われ、ペティットは1990年にドラフト会議でヤンキースから22順目で指名されているのだが、いったんは大学進学を選んだ。が、翌年の5月に結局ヤンキースと入団契約を交わし、マイナーリーグに送りこまれた。ルーキーリーグから順調に3Aまで昇格し、95年4月29日に初のメジャー昇格を果たした。中継ぎで5試合に登板した後、5月半ばにマリアーノ・リベラと入れ代わりで3Aへ。しかし、すぐにまた声が掛かって、今度は先発でチャンスが与えられ、結局、その年は26試合に先発して12勝9敗、防御率4.17という好成績。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位だった。2年目は21勝を挙げ、ワールドシリーズ優勝にも貢献。第1戦では、ブレーブス打線に7失点という出来だったが、第5戦ではジョン・スモルツと球史に残る投手戦を展開し、救援を仰いで1対0で競り勝っている。また、サイヤング賞でも、パット・ヘンドゲンに継ぐ2位につけた。97年がまだすごくて、開幕から8連勝。さらに7月5日からは23イニングス連続無失点という記録を打ち立てた。ペティットにとって野球よりも何よりも大切なもの、それは家族だ。その一方で「チームメートたちも家族と同じ」と言い切る。98年はプレーオフの最中、父親のトム・ピティットが心臓病で倒れ、バイパスの手術を受けるアクシデントがあった。ワールドシリーズでは「DAD」と帽子に書き込み、厳しい表情で淡々と投げ続け、再びワールドシリーズ優勝に貢献した。ペティットは引退後、子供たちの学校で野球か、バスケットボールのコーチをやるのが夢だと言っている。ペティットなら、ヤンキースからアストロスへ移籍してしまったのも許してしまう。



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  1. 2005/10/30(日) 17:51:35|
  2. 2005年 10月
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